Vol.101多様性と教師教育、そして未来①
多様さを、課題ではなく希望で語ろう

2018.02

 「うちの学校は10年前、大体半分の子どもたちが外国から来た子どもたちでした。今はそれが3分の2になっています」、「うちの学校は僻地で山間部にあるのですが、今度インドネシアから生徒が編入してくるんです」。

 いわゆる「外国人児童生徒」という言葉はここ数年、メディアでも取り上げられるようになり、また、新学習指導要領にも「日本語が十分でない子どもへの教育的配慮」が明記されるようになりました。
 しかし、大学の教員養成の場でも、学校現場でも、まだまだこうした子どもたちに対する教育や対応のあり方の戸惑いは多く見られます。

 日本の学校教育は、「子どもを見よう」、「子どもの状況から教育を考えよう」ということは常にいわれていましたし、また長い授業研究文化の歴史から見ても、子どもを主軸に捉えて授業を進めていく文化は存在していました。ただ、そこでいう「子ども」というのは、あくまで「日本語を話す日本人」であることが暗黙の前提だったといえます。そのため、「日本語を話さないかもしれないし、日本人でもないかもしれない」といった外国人児童生徒のような子どもたちは、これまで視野の外であることが多かったといえます。だからこそ、私たちはこうした子どもたちを前に、どう教えればいいか、どう伝えればいいか、悩みます。

 しかし一方で、こうした子どもを「日本語の不十分さ」という「課題」だけで捉えていってもいいのでしょうか。よく考えてみれば、移民の多かった国では、そうした子どもが混ざっている教室や学校の風景はもはや日常の一片です。

もしかすると、言語的文化的に多様な子どもたちが学びの場にいるということは、「課題」だけではないのかもしれません。そこで、外国人児童生徒の存在を、「授業の変革」、「学校の変革」という視点から考え、「課題」で語るのではなく「希望」で語りたいのです。そういうお話です。

東京学芸大学准教授 南浦涼介
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