Vol.225根本的で多面的な思考を促す哲学対話
フレーズにこだわることの可能性

ちょっとした哲学対話の可能性
 主体的・対話的で深い学びは、確かな学力を育成する上で重要です。では、「そもそも」主体的・対話的で深い学びとは何でしょうか。「一方で」、教育現場ではその課題も指摘されていますが、どのように解消されるのでしょうか。アクティブ・ラーニング型の学習方法の一つである「哲学対話」が、それらを考える参考になるのではと考え、一つの小ネタを紹介します。その小ネタは、先ほど既に実践しました。先の文章で用いた、「そもそも」「一方で」といったフレーズです。これらのフレーズが用いられたことで、聞き手は自然と、より根本的で多面的な理解をしようという心づもりになったのではないでしょうか。

生徒に響くフレーズとは
 もちろん、このようなフレーズは、授業で用いられるにあたっては、生徒の実態に即してその内容が吟味されるべきです。しかしこのように、教員が、生徒により深く考えてもらうために、意識的にフレーズを活用することには一定の教育効果があると考えます。私はこのとき、どんな態度目標を設定するかが重要であると思っています。何を知識として覚えてもらうかではなく、どんな態度で授業に臨んでもらいたいか、もらうべきかを思案する。私は特に、哲学的視点が導入されることを期待して、自分の授業を振り返るとともに、生徒に響くフレーズを考案しています。

個人的授業実践
 自身が担当する倫理の授業で、具体的な例を挙げましょう。キリスト教の授業で、「見失った羊のたとえ」を例に、アガペー(無差別無償の愛)を説明する際、「そもそも」99匹の羊よりも1匹の羊を優先するのは差別ではないかとして、教員が聖書の内容に異を唱えます。聖書という世界で最も読まれている書物に「そもそも」の疑いの目を向けることで、当たり前を疑うような哲学対話が促される雰囲気が醸成されます。他にも仏教の授業で、仏教は執着を捨てよと教える「一方で」仏になることに執着しているのではないか、仏教は執着を捨てることに執着しているのではないかとして矛盾する点を指摘します。あえて異説を唱えることで生徒の心に波紋を広げる、すると生徒たちにそもそも執着とは何なのかと考える視点が生じます。

本質を看破する力を育む
 平成30年度改訂の学習指導要領では生徒が自ら「問い」を設定することが求められています。その「問い」をより本質的なものにするためにも、教員は生徒の思考をより根本的で多面的なものにしていかなければならないのではないかと思っています。そのための一助として、この小ネタが活かされたら幸いです。

東京都立町田高等学校
久世 哲也
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