Vol.188「宿題」を通した学び①
宿題という概念

2020.07

 「宿題」と聞いてみなさんはどのようなイメージをもつでしょうか。私の小学校時代も、教員生活15年を迎えた今も、さらには私の父の小学校時代までも含めて、いつの時代も宿題というものはありました。ただ私が知る限り、「音読、計算、漢字等」という宿題に対してプラスのイメージを持っている人はあまり多くありません。特に宿題を出される側の子どもにとってはなおのことでしょう。

 ここで今日的な「宿題」という概念について、私なりに少し整理をしてみたいと思います。新明解国語辞典(第5版)では「児童・生徒や学生に対して、家でやってくるように教師の与える課題。」とありました。つまり、「家で取り組むことを前提として教師が子どもたちに与える課題」のことを「宿題」と呼ぶようですが、何かその具体的な内容について明示されているものはあるのでしょうか。

 日本の学校教育の柱となるものは「学習指導要領」です。しかし2020年度より新学習指導要領が全面実施になりましたが、これまでの学習指導要領にも新学習指導要領にも「宿題」という単語は登場しません。したがって、まずは特に国からのきまりがあるわけではない学校裁量によるもの、もっと言うと担任等、各教師の裁量に任されている課題こそが宿題と言えるでしょう。さらにこれについては、教育学者である佐藤秀夫の指摘が参考になります。佐藤は「『宿題』が学校教育に不可欠なものではなく、ある条件の下で生み出された」と述べ、その条件について、近代学校教育システムの整備の伴い、学校の授業時間数の増加によって授業時間内で習得できない分を家庭での学習によって補う必要が発生したこと、紙や筆記用具などの子どもたちの家庭での学習環境の充実ならびに教師が宿題を用意するための印刷などのテクノロジーの発達を挙げています。つまり、学校教育に不可欠ではないからこそ、「これを宿題にしなさい」というような具体的には明示されているものはないようです。

 さて、このように「宿題」の内容について明示されたものがないにもかかわらず、学年を問わずに「音読、計算、漢字等」を宿題として出している教師は多いと思います。これについて、「音読、計算、漢字等」が昔から脈々と受け継がれてきた宿題の王道であるがゆえに、「なんとなくのきまりができていった」ということはないでしょうか。そして、これらを宿題として出す根拠は実ははっきりとしていない、ということはないでしょうか。

北区立赤羽台西小学校
藤倉基裕
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